ORIGINAL BLACK SABBATH 前半 ('69 - '74年) |
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トニー・アイオミ (G),ギーザー・バトラー (B)
ビル・ワード (Dr),オジー オズボーン (Vo)
…からなる四人の編成こそ、現在最もリスペクトされる、
いわゆるORIGINAL BLACK SABBATHである。
バーミンガム近隣の若者達は、仲間が自然と集まる形でバンドを
結成する。はじめはTHE EARTHと名乗っていた彼らは、クラブ廻りの
ショウで大音量のショウを披露して次第に名前を知られていく。そ
の中で当時流行の黒魔術と、近所で見かけたホラー映画に着想を得
て、突然変異的な楽曲「Black Sabbath」を生み出し、その強烈なイ
メージからバンド名も曲にそろえてBLACK SABBATHと改める。
奇怪かつ神がかり的なショウをやるバンドとして評判になった彼
らは、レコード会社との契約を得て、1st「BLACK SABBATH」を製作
する。'70年2月に彼らがアルバムデビューした「13日の金曜日」
は、HM/HRの歴史に刻まれる記念日となった。
SABBATHがリリースしたアルバムは大きな反響を呼んだ。さらにバ
ンドはツアーに出向いた各地で、アルバム以上ににエネルギッシュ
なショウを展開した事で、欧米における評価も高まった。
その評価の「証明」が、'74年4月6日に行われた「CALIFORNIA
JAM」への出演だった。バンドはそこで20万人を超えるオーディエン
スを相手に、本来は主役であるEL & PやDEEP PURPLEに負けないショ
ウを披露し、米国における存在感を確固たる物とした。
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Pre-SABBATH ('68年8月頃から'69年8月頃) |
RARE BLEED
↓
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MYTHOLOGY
↓
|
RARE BLEED
↓
|
MYTHOLOGY
↓
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Ozzy
Osbourne
(Vo)
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Tony
Iommi
(G)
|
Geezer
Butler
(B)
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Bill
Ward
(Dr)
|
Jimmy
Phillips
(G)
|
Alan
Clarke
(Saxophone)
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↓
脱退
|
↓
脱退
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・'68年8月頃、"POLKA TULK ELECTRIC BLUES BAND"としてバンド結成。
数回のギグでジミー・フィリップスとアラン・クラークは脱退。
・'68年9月頃、4人編成の"EARTH"として再スタート。
・'69年はじめ、アイオミが約2週間"JETHRO TULL"に参加するが、すぐに復帰。
・'69年から本格的なバンド活動が始まる。
・バンド名を"BLACK SABBATH"へと改め、'69年8月30日にサバスとして初ライヴを行う。
|
・'69年10月16日、1stアルバムをレコーディング。
・'70年2月13日の金曜日に「BLACK SABBATH」でアルバムデビュー。
・'70年8月,シングルで発表した「Paranoid」がヒット。
・'70年9月,「PARANOID」発表。イギリスで1位を獲得。
・'71年,「MASTER OF REALITY」発表。
・'72年,「Vol.4」発表。この時期のライヴが後に「LIVE AT LAST」となる。
・'73年,「SABBATH BLOODY SABBATH」発表。1曲でリック・ウェイクマンが参加。
・'74年4月6日、"CALIFORNIA JAM"に出演。
アイオミは'74年頃、ヒゲを剃っていた時期があった。
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ORIGINAL BLACK SABBATH 後半 ('75 - '79年) |
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成功に伴ってバンドの内部には、ドラッグやアルコールにまつわ
るトラブルのほか、ビジネス面でも様々な問題が山積していった。
しかしこの辺りからアイオミがリーダーとしての指導力を発揮
し、後々に至るバンドの基礎や音楽性が固められていく。その過程
でオジーとの対立が生まれ、バンドは初期のピークから後半への曲
がり角に差し掛かる。
'70年代中盤以降、オジーのアルコール・ドラッグ癖は一層深刻の
度を加え、バンドの運営を妨げる事が多くなった。オジーは'77年に
バンドからの「脱退」を宣言すると、ソロ活動を模索する。
突然シンガーを失なったバンドは、元SAVOY BROWNのヴォーカリス
トであるデイヴ ウォーカーを迎えてバンドの建て直しを図るが、ウ
ォーカーの個性はバンドにフィットせず、この編成は1ヶ月程度で破
綻する。オジーもこの時点ではソロ活動の目途が立たず、結局両者
は再合流して「NEVER SAY DIE!」を製作し、バンド結成10周年記念
ツアーを行った。
しかし一度は決裂したオジーと他のバンドメンバーとの確執は深
刻であり、'79年4月27日をもってオジーは「追放」されてしまう。
こうして'70年代のオリジナルSABBATHは終焉を迎え、バンドは崩壊
の危機に立たされてしまう…。 |
・'75年「SABOTAGE」発表。
・ツアーに先立ち、ジェラルド"ジェズ"ウッドロフがバンド加入
(ジェズ・ウッドロフは「SABOTAGE」製作に関与していない模様)
・この時期からマネージメントが不安定になる。
・'76年「TECHNICAL ECTASY」発表
バンド内部の人間関係が不安定化。
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・'77年10月頃、オジーが脱退宣言。ソロ転向を図る。
・元SAVOY BROWNのデイヴ・ウォーカーをシンガーとして迎える。
・新ラインアップで'78年1月6日にテレビ出演。「Junior's Eyes」プロトタイプを演奏。
・'78年1月後半、ウォーカー解雇。
・ドンはサバスがPAを借りていた会社の縁でセッション参加。
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・'78年初頭、オジーがバンドに復帰。
・'78年「NEVER SAY DIE!」発表。
・'78年6月18日・19日,ハマースミス公演
このライヴが収録されて「NEVER SAY DIE!」(映像版)となる。
・ドンは'78年11月にRAINBOWへ参加。
・'79年4月27日,オジー解雇。
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第一次 ロニー・ジェイムズ・ディオ時代 ('80 - '82年) |
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'79年のオジー解雇に先立ち、アイオミはシャロン・アーデンの紹
介により、元RAINBOWのヴォーカルであるロニー・ジェイムズ・ディ
オと面識を持つ。最初はマネージメントの意向もあって、オジーで
のバンド継続も考えられたが、ロニーとSABBATHのセッションは素晴
らしい相性を示し、オジーの解雇とロニーの加入が決定する。
オジー解雇のショックから当初はギーザー・バトラーもバンドを
離れたが、アイオミはロニーらと作業を続行。QUARTSのジェフ・ニ
コルズや、元RAINBOWのクレイグ・グルーバーを曲作りのヘルプで参
加させる。その後ギーザーは'80年初頭にバンドへ復帰。ニコルズも
キーボードとしてバンドに引き続き協力。彼はその後長年にわたっ
てアイオミの片腕として活躍する事になる。
オジー解雇の衝撃とバンド人気の低落は、SABBATHをほとんど瀕死
の状態に追い込んでいたが、ロニー独自のファンタジックな世界観
と抜群の歌唱力がバンドに新しい生命をもたらした。新作「HEAVEN
AND HELL」は当時盛り上がりを見せていたHM/HR人気の追い風を受
け、歴史的な大成功を収めた。こうして、オリジナルSABBATHと並び
賞される、もうひとつの黄金時代が幕を開けたのである。
ツアー開始後の1980年8月、ビル・ワードがバンドを離れ、後任の
ドラムとしてヴィニー・アピスが加入する。この編成により初めて
の来日公演が実現し、翌'81年には「MOB RULES」が製作される。 |
・'79年5月頃、ロニー・ジェイムズ・ディオ加入
同時期にギーザー・バトラーが脱退。セッションではロニーがベースも一時担当
・QUARTZのジェフ・ニコルズが曲作りのヘルプで参加。
・セッションのベースとして、元RAINBOWのクレイグ・グルーバーが参加。
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・'80年初頭、ギーザーがバンドに復帰。
ジェフはキーボードとして引き続きバンドに協力。
・'80年「HEAVEN AND HELL」発表。
・'80年8月19日のライヴを最後にビル・ワードが脱退する。
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・'80年8月末、ヴィニー・アピス加入。
・'80年10月17日のニューヨーク公演を収録。後に「BLACK & BLUE」として映像作品化。
・'80年11月、初の来日公演が実現。
・'81年秋「MOB RULES」発表。
・'81年12月31日から'82年1月3日にかけてのロンドン公演を収録。
2007年に「LIVE AT HAMMERSMITH ODEON」として音盤化。
・'82年アメリカツアーの3公演を収録。
'82年末に「LIVE EVIL」として発表。
・'82年後半、ロニーとヴィニーが脱退し、DIOを結成する。
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"PURPLE SABBATH" イアン・ギラン在籍時 ('83 - '84年) |
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ロニーとヴィニーを擁する編成は1981年に「MOB RULES」を製作・
発表する。ライヴにおけるパフォーマンスは依然として素晴らしい
ものの、この辺りからロニーとアイオミ,ギーザー組の間には溝が
生まれ始めていた。1982年の「LIVE EVIL」ミキシング中、バンドの
方向性と指導権を巡って両者は決裂。ロニーはヴィニーを伴いDIO結
成へと走った。
ロニーと喧嘩別れしたアイオミとバトラーは、マネージメントの
紹介で元DEEP PURPLEのイアン・ギラン (Vo) と接触する。
イメージが異なる両雄の合体は一部から「SABBATHらしくない」と
批判され、アイオミ自身も当初はこのラインナップがSABBATHの名前
を冠する事に難色を示したという。しかし大物同士のコラボレーシ
ョンは大きな話題となり、特に北米におけるアルバムセールスやツ
アーは成功を収め、マネージメントの目論見どおり、SABBATHは「延
命」することが出来た。
ギランにとってのSABBATH参加は、明らかにDEEP PURPLE再結成ま
でのアルバイトだった。しかしそのお仕事的雰囲気とは裏腹に、シ
ョウや楽曲で発散されるエネルギーは壮絶なものであった。 |
・'83年2月,イアン・ギランと合流。"ドリンク・ミーティング"の末に参加を決定。
・'83年4月,ギランのサバス加入を正式発表。
・'83年6月,ビル・ワードを呼び戻してアルバムをレコーディング。
・'83年7月,ビルがレコーディングのみで離脱する。
・'83年8月「BORN AGAIN」発表
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・'83年7月,E.L.O.からベヴ・ベヴァン加入。
・'83年8月,レディング フェスにトリで出演。'84年3月までツアー継続。
・'84年3月,イアン ギラン脱退。第二期編成でのDEEP PURPLE再結成に参加。
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バンドの一時崩壊とLIVE AID出演 (1985年) |
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「BORN AGAIN」ツアー終了後、イアン・ギランはDEEP PURPLE再結
成のためSABBATHを脱退し、バンドは再びシンガーを失った。アイオ
ミはこの時期、オリジナル・メンバーの再集結も模索するが、結局
新たなシンガーを探す事になった。
その過程でデイヴ・ドナートなど何人かのヴォーカルを試すも、
結局上手くいかず、'85年初頭、BLACK SABBATHは一時崩壊する。
ギーザーとも別れてバンドが解体すると、アイオミはソロ活動へ
の転向を意識する。その手始めとしてソロアルバム製作を開始し、
ジェフ・フェンホルトらを起用してデモを製作する。
複数名のシンガーを起用するアイディアもあったが、最終的には
卓越した歌唱力を買って、元TRAPEZE - 第三期DEEP PURPLEのグレ
ン・ヒューズ (Vo/B)をシンガー迎えレコーディングを行った。
その作業中に当たる1985年7月13日、アイオミはオジー,ギーザー
そしてビルのオリジナル・メンバーで、世界的なチャリティ・イベ
ント"LIVE AID"へ出演。瞬間的ながら、オリジナルSABBATHでのライ
ヴが実現した。 |
・'84年4月頃、ロン・キールと接触。
アイオミらが聴いたデモ・テープが他人と判り不採用。
・デモテープで歌っていたのは、カル・スワンだと推察される。
後に日本国内の報道で「カル・スワン加入」が報じられる。
・同じ時期、オリジナル・メンバーでの会合。再結成を模索するも失敗。
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・'84年夏、デイヴ・ドナートを加えデモ製作を行う。
「The Shining」の原型「No Way Out」などを収録するも、ドナートは結局不採用。
・'85年1月、メンバーの離脱が相次ぎバンドは事実上解散する。
・ギーザーは自身のソロ活動として"GEEZER BUTLER BAND"を立ち上げる。
・ビルは一足先にバンドを離脱し、ENGLAND'S GLORYというバンドを立ち上げるが
生活状況は厳しかったとの事。
・ドナートは'86年にWHITE TIGERを結成するが、パッとしないままフェイドアウト。
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バンドの一時崩壊とアイオミのソロ活動
・'85年春頃、アイオミはリタ・フォードの縁でミュージシャンを召集。
ソロアルバムの製作に着手する。
・シンガーはジェフ・フェンホルトを試すが上手くいかずに不採用となる
ブート「STAR OF INDIA」(ジェフ版デモ)
・同じ頃、ジェフはギーザーの楽曲製作にも協力。
ブート「THE BATTLE OF THE DEMOS 1985」(GEEZER BUTLER BAND デモ)
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・'85年6月、シンガーにグレン ヒューズを迎えレコーディングを行う。
「No Stranger To Love」 (シングル版) 収録
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LIVE AIDで一公演(3曲)のみオリジナル再結成
・'85年7月13日、LIVE AIDにおいて一日限りのオリジナルSABBATH再結成。
3曲の演奏のみで再び解散。
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BLACK SABBATH Featuring TONY IOMMI ('86 - '87年初頭) |
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元TRAPEZE - 第三期DEEP PURPLEのグレン・ヒューズ (Vo/B)をシ
ンガーに迎えて、アイオミのソロアルバムとしてレコーディングさ
れた「SEVENTH STAR」であったが、BLACK SABBATHの存続を望むレー
ベルの意向で、"BLACK SABBATH Featuring TONY IOMMI"という、奇
妙な名義でリリースされる。
ここまではまだ「トニー・アイオミのソロ活動」であったが、ツ
アーを開始する時点では、名実ともにBLACK SABBATHとして活動する
事になってしまった。グレンがこれに怒りを覚えて奇行に走り、ラ
イヴでも満足に歌えなかった事から、アイオミはやむなくグレンを
解雇する。
後任として迎えられたのは、無名の新人だったレイ・ギラン。軽
く音合わせしたオーディションで彼は素晴らしい歌声を披露し、バ
ンド加入が決定する。
レイは持ち前の声と歌唱力でよく期待に応え、ツアーを終了する
まで無事に大役を果たした。そしてこのメンバーで新作の製作に取
り掛かったのだが…。
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アイオミのソロ活動が次第にSABBATH化
・'85年夏、ベースをデイヴ・スピッツに交代し、アルバムの製作作業を継続。
・'86年1月,「SEVENTH STAR」発表
・'86年3月後半,サバス名義でツアーを開始するがグレンが満足に歌えず即解雇。
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・'86年3月29日,レイ ギランをシンガーとして起用。
イギリスツアーが終了する6月までツアーを継続する。
・'86年6月,ロンドンでのショウがビデオ収録されたが、公式発表は見送られる。
・このメンバーで次回作の作業を開始。スピッツがプロデューサーと対立し、離脱する。
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・'86年10月頃、ボブ・ディスリーを迎えてアルバムの製作作業を継続する。
ブート「THE ETERNAL IDOL - RAY GILLEN MIX」など
・ボブはバンドへ正式参加を要請されるが、作業後GARY MOOREへと戻る。
・'87年に入ってから、メンバーが相次いで離脱する。
エリックもレコーディング後にバンドを離れ、GARY MOOREのツアーに参加。
レイはジョン・サイクスのBLUE MURDERへ参加。'89年にエリックらとBADLANDSを結成。
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前期 トニー・マーティン時代 ('87 - '90年) |
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アルバム「THE ETERNAL IDOL」製作中にレイ・ギランがバンドを
脱退した事により、アイオミは以前から接触していた新人シンガー
のトニー・マーティンをバンドへ加入させる。
マーティンとの相性の良さを認めたアイオミは、長らくアプロー
チしてきた大物ドラマー,コージー・パウエルを遂に口説き落とし
て獲得し、さらにはその友人のニール・マーレイ (B)をも迎えて、
スーパーバンド的ラインナップを形成するに至る。
'89年の「HEADLESS CROSS」および'90年発表の「TYR」でメロディ
アスな路線は結実し、ロニー時代を超える新たな黄金期の到来を感
じさせた。が、そのロニーがSABBATHに復帰した事で、功労者たるマ
ーティンは解雇に近い形で、バンドを離れねばならなかった。
しかしアイオミはメロディアスな路線から切り返す形で、ロニー
を擁する編成において「ヘヴィネス路線」を選択する。さらにはオ
ジーを迎えたオリジナルSABBATH再結成の思惑も絡み、事態は思わぬ
方向へと動いていく…。 |
・レイ・ギランの後任としてトニー・マーティンが加入。
新作の歌をレイのテイクから差し替える
・ドラムにはスタジオへ遊びに来たベヴ・ベヴァンを、そのまま加入させる。
・ボブ・ディズリーに代わるベースとして、 ギーザー・バトラーともリハーサルする。
結局ギーザーは復帰せず、デイヴ・スピッツが戻る。
・'87年7月20日、アルバム完成前にギリシャ・アテネでフェスティバルに出演。
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・南アフリカツアー直前にベヴ・ベヴァンが脱退。
後任としてテリー・チャイムズが加入する。
・南アフリカでのライヴ終了後にデイヴ・スピッツが脱退する。
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・11月,「THE ETERNAL IDOL」発表。
・デイヴの後任としてジョー・バートが加入。
・'87年11月22日から12月10日までドイツ・イタリアをツアー。
・ツアー終了後にバートは脱退。
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・'88年5月29日、イギリス・オールドベリーでチャリティギグに出演する。
・この時はジェフ・ニコルズがベースを担当。
・ショウ終了後にテリーがバンドを脱退。
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・'88年夏、コージー パウエルを迎える
・この時もギーザー復帰が浮上するが、ギーザーはOZZY OSBOURNEに参加。
・セッションマンのローレンス・コトルを加え新作アルバムの製作を行う。
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・'89年5月,「HEADLESS CROSS」発表。
・ニール・マーレイをベースに迎え、ソ連を含むワールドツアーを開始。
10月には9年ぶりの来日公演も実現した。
・1989年ツアーの終了後、同一の編成で新作アルバム製作。
・1990年9月「TYR」を発表。
・'90年10月から12月までヨーロッパツアー。
1990年ツアー終了後、ニールが脱退しギーザーが復帰。
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第二次 ロニー・ジェイムズ・ディオ時代 ('91 - '92年) |
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ロニーを擁するSABBATHは「HEAVEN AND HELL」で世界的成功を収
めたが、「MOB RULES」のセールス不振に端を発するバンド内部の不
協和音は、「LIVE EVIL」での製作途中で内部分裂を起こすに至り、
正味二年半でラインナップが崩壊する。
その後はアイオミがトニー・マーティンやコージー・パウエルら
とバンドを運営していたが、'91年になってギーザーがバンド復帰を
申し出る。この際ギーザーは、アイオミに対しロニーとの再共演を
提案した。同時期にDIOをたたんだロニー・ジェイムズ・ディオは、
この話に乗って復帰し、SABBATHはアイオミ,ギーザー組にロニーと
コージーが在籍するというスーパーバンド状態になった。
しかし、この「スーパーバンド」はアルバム製作段階で既に躓い
ていた。ロニーと衝突したコージーが「落馬事故」で脱退すると、
バンドはヴィニー・アピスを迎えて、過去のラインナップによる
「再結成」状態になる。しかしこの「再結成」も、バンドメンバー
の思惑は食い違っており、ツアー中の「オジー前座拒否事件」を待
つまでも無く、早々と解体が既定路線に乗ってしまっていた。
この「オジー引退ライヴ」では、出演を拒否したロニーの代役と
して、ロブ・ハルフォードがSABBATHのフロントを務めた。同時にこ
のライヴではオリジナル編成での再結成も実現し、SABBATHは大きな
岐路に立つこととなった。 |
RONNIE JAMES DIO mk.4 ('91年1月頃から'91年3月頃) |
DIO
↓ |
|
OZZY
OSBOURNE
↓ |
|
|
Ronnie
James Dio
(Vo)
|
Tony
Iommi
(G) |
Geezer
Butler
(B)
|
Cozy
Powell
(Dr) |
Geoff
Nicholls
(Key) |
↓
一時離脱 |
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|
|
|
・'91年1月,ニール・マーレイが脱退してギーザー ・バトラーが復帰。
・ギーザーがロニーの復帰を働きかけ、トニー・マーティンもバンドを離脱する。
・新作アルバムの製作に取り掛かるがコージーとロニーが対立し、難航する。
|
・'91年4月頃、ロニーがバンドを一時離脱。
・トニー・マーティンを呼び戻しセッションを続行。
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RONNIE JAMES DIO mk.5 ('91年初夏から'91年10月頃) |
バンド復帰
↓ |
|
|
|
|
Ronnie
James Dio
(Vo)
|
Tony
Iommi
(G) |
Geezer
Butler
(B)
|
Cozy
Powell
(Dr) |
Geoff
Nicholls
(Key) |
|
|
|
↓
ソロ活動 |
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・'91年夏頃にはロニーが復帰。マーティンは再びソロ活動に転じる。
・'91年10月頃、コージーが落馬事故により負傷。バンド脱退
・マーティンはコージー,ニール・マーレイらと"COZY POWELL'S HAMMER"として活動。
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RONNIE JAMES DIO mk.6 ('91年11月頃から'92年11月13日) |
|
|
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WORLD WAR 3
↓ |
|
Ronnie
James Dio
(Vo)
|
Tony
Iommi
(G) |
Geezer
Butler
(B)
|
Vinny
Appice
(Dr) |
Geoff
Nicholls
(Key) |
↓
DIO |
|
|
|
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・'91年11月頃、ギーザーの意向もありヴィニーがバンド復帰。
・'92年6月「DEHUMANIZER」発表。11月までツアーを行う。
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コスタ・メサでの「オジー引退ライヴ」 前座出演
・'92年11月14日・15日、コスタ・メサで行われた「オジー引退ショウ」に前座出演。
・ロニーがオジーの前座を拒否したため、ロブ・ハルフォードが代役出演を果たす。
・そのままロニーはバンドを脱退し、ヴィニーもショウ終了後に脱退する。
|
コスタ・メサでの「オジー引退ライヴ」 オリジナル再結成
・'92年11月15日、オジーのセット終了後にオリジナル編成で特別ステージを披露。
・継続的な再結成を望まれたが、この時点では条件が折り合わず、失敗する。
|
後期 トニー・マーティン時代 ('94 - '95年) |
|
'92年にロニーがSABBATHを脱退した後、バンドはオジーと合流し
て、オリジナルSABBATH再結成が模索されるが、この時はビジネスな
どの諸問題から結局実現しなかった。
第三の選択肢としてトニー・マーティンが呼び戻され、'94年に再
びメロディアス路線の作品である「CROSS PURPOSES」が製作・発表
される。しかし同作はギーザー・バトラー残留の影響もあり、ファ
ンタジックだった「TYR」とは異なる、現代的側面をもった作品にな
った。
そのギーザーが脱退した後、'95年にはコージー・パウエルとニー
ル・マーレイが戻ってきたが、この時製作された「FORBIDDEN」は、
当時流行のヘヴィネスを追求したものであり、バンド人気も往時の
ような盛り上がりは見られなかった。時代の気運はすでにオリジナ
ル再結成へ傾いており、マーティンの奮闘も空しく、'96年にアイオ
ミはバンドを解体する。フェイドアウト的なマーティン時代の終焉
は、どこか釈然としないものが残った。
アイオミは1996年を静養と余暇のセッションに当てると、年が明
けた1997年にはシャロン・オズボーンの打診を受け、ギーザーとと
もに"OZZFEST"ツアーへBLACK SABBATHとして参加。
そして1997年末には、オリジナルSABBATH再結成の興奮が、ファン
とメタル・シーンを飲み込んでいくのである。 |
・'92年末,トニー・マーティンが復帰。
ドラムにボビー・ロンディネリを加えて新作アルバムの製作を行う
・'94年2月,「CROSS PURPOSES」発表。
・'94年2月から6月までツアー。3月には'89年以来となる来日公演が実現。
・4月13日のハマースミス公演を収録。
公式ライヴ作品「CROSS PURPOSES LIVE」として、'95年3月に発表。
|
・'94年8月末から9月初めの南米ツアーにビル・ワードが帯同する。
・ツアー終了後、ギーザー・バトラーが脱退。
OZZY OSBOURNEに参加しつつ、ソロ活動を開始する。
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・'94年末、コージーとニールが復帰。
・'95年6月,「FORBIDDEN」発表
・アメリカツアー中の8月3日,コージーがバンドの活動に疑問を感じ脱退する。
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・'95年8月,ボビーがバンドに復帰し残りのツアー日程を消化する。
・11月には2年連続で来日公演を行う。
・ツアー終了後、バンドは活動を停止する。
・'96年4月,ベスト盤「THE SABBATH STONES」リリース。
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・'96年夏から秋にかけ、アイオミは余暇的なセッション活動を試みる。
・当初はロブ・ハルフォードと接触するが、音源を残すには至らなかった。
・最終的にグレン・ヒューズと合流しデモ製作を行う。
未発表のうちにテイクが流出。ブート化される。
・2004年秋に「THE 1996 DEP SESSIONS」として正式リリース。
その際ドラムをジミー・コプリーに、一部キーボードをジェフ・ニコルズに差し替え。
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REUNION BLACK SABBATH #1 ('97 - 2006年) |
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アイオミがバンド運営を維持するために決断した「オジー追放」
は、SABBATHにはロニーとの新時代を、そしてオジーにはソロ・ミュ
ージシャンとしての活路を与える事となった。
当初はSABBATHも「HEAVEN AND HELL」で成功を収めたものの、オ
ジーはソロ活動でSABBATH以上の大成功を収めた。
対してSABBATHはロニー時代以降もトニー・マーティンらと優れた
作品を生み出したが、常にメンバーの離合集散を繰り返し、オジー
を越えるカリスマ性を得られないまま、商業面では大きく水をあけ
られてしまう。
しかし'92年、オジーの「引退ライヴ」におけるオリジナル再結成
が互いの関係修復のきっかけとなって、'97年には完全な形での再結
成が実現。大々的なワールドツアーも成功させ、SABBTHはようやく
そのキャリアにふさわしい世界的成功を手にしたのであった。
「伝説の復活」に若いファンは狂喜し、オジーとのオリジナル編
成こそがBLACK SABBATHであるという認知が浸透した。しかし80年代
のBLACK SABBATHを愛する者には、オジー時代以外を半ば否定された
形になり、複雑な心境であった。 |
・'97年5月,"OZZFEST '97"においてBLACK SABBATHが登場する。
・この時はビル・ワードが呼ばれず、マイク・ボーディンが代役を務める。
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・7月1日のみUGLY KID JOEのシャノン・ラーキンがドラムを担当。 |
・'97年12月4日と5日、バーミンガムにおいてオリジナル編成のSABBATHが再結成。
公式作品「REUNION」および「THE LAST SUPPER」が製作される。
・'98年は再結成ツアーが告知されたが、ビル・ワードが急病で療養に入る。
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・体調不良のビルに代わり、ヴィニー・アピスがDIOを抜けて参加。
・このためヴィニーはしばらくの間ロニーと疎遠になってしまう。
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・'98年の年末ライヴからビルが復帰。
翌'99年は年間を通して大規模なワールドツアーが行われた。
・'00年、アイオミが初めてのソロアルバム「IOMMI」を発表。
オジーとビル、ローレンス・コトルも参加。
・何度かの休止を挟みながらも、オリジナル編成でのライヴ活動が継続される。
・2001年にはリック・ルービンのプロデュースでアルバムの製作を行う。
「Scary Dreams」など約6曲の新曲を作るが、アルバム製作は頓挫する。
・2004年の活動再開時にはジェフ・ニコルズが呼ばれず、バンドから離脱。
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・'04年6月からは、リック・ウェイクマンの実子アダム・ウェイクマンがバンドに参加。 |
・OZZFESTツアー中の'04年8月26日、オジーが急病のためステージを欠席。
JUDAS PRIESTとして参加していたロブ・ハルフォードが急遽代役を務めた。
・セットは全てオリジナルSABBATHの曲。'80年代からの選曲は無かった。
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アイオミのソロ活動
・2004年秋,「1996 THE DEP SESSIONS」が公式リリース。
・これが切っ掛けでアイオミのソロにグレンが全面参加する。
・2005年7月,「FUSED」発表。
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・2005年8月20日,カリフォルニア州サンバーナディーノ公演において、
シャロンとIRON MAIDENがトラブルを起す。
・2005年11月,サバスがイギリスでロックの殿堂入り。
・2006年3月13日,アメリカでもロックの殿堂入りを果たす。
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HEAVEN & HELL - 第三次ロニー時代 ('07年 - '10年) |
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1991年、ギーザーがロニーとアイオミを仲介し「再結成」が実現
した。しかしこの時の「再結成」は各人で思惑が異なっており、ア
ルバムの製作段階からお互いの衝突が見られた。
「オジー引退ライヴ」の前座を拒否したロニーはそのままバンド
を離脱して新しいDIOを立ち上げ、もはやロニーとSABBATHの合流は
無いかのように思われた。
しかしオリジナルSABBATH再結成後の'07年、ロニー時代のベスト
アルバム発表がきっかけで、アイオミとロニーは合流。三度目の
「ロニー時代」がやって来た。
BLACK SABBATHの名義がオジーとのオリジナル編成に限定されたた
め、今回の再結成はHEAVEN & HELLというプロジェクト名義に落ち着
いた。しかし2007年以降のワールドツアーと新作フルレンス・アル
バムは多くのファンから絶大な支持を得て、'80年をも超える大成功
を収めた。2007年10月に行われた来日公演も大盛況であった。
その翌年もバンド活動は継続され、2009年4月には待望のフルレン
ス・アルバム「THE DEVIL YOU KNOW」が発表された。しかし2009年
のツアー終了後、ロニーの病気治療が発表される・・・・・・。
'10年5月16日にロニーが逝去し、バンドとしてのHEAVEN & HELLは
終焉の時を迎える。追悼公演となった同年7月24日のHigh Voltage
Festivalには、ロニーの代役ヴォーカルとしてグレン・ヒューズと
ヨルン・ランデが迎えられた。
バンドだけでなく、メタルの歴史上でも「一つの時代」に幕が下
ろされた瞬間だった…。 |
・ロニー時代のベスト盤発表計画に伴い、ロニーとアイオミが15年ぶりの再合流。
・当初はビルも参加予定だったが、途中で離脱。
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・ビルの後任としてヴィニー・アピスが参加。新曲をレコーディング。
・'07年春「THE DIO YEARS」リリース
・'07年3月から11月までワールドツアーを行う。
KeyはDIOのスコット ウォーレンが担当。
・3月のニューヨーク公演を収録。
「LIVE FROM RADIO CITY MUSIC HALL」として公式作品化
・'09年に新作フルレンス「THE DEVIL YOU KNOW」を発表。
・'10年5月16日のロニー逝去によって、バンドとしての活動が終了。
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"HIGH VOLTAGE 2010"でのロニー追悼公演
GLENN HUGHES mk.5 (2010年7月24日,ロンドン・ヴィクトリアパーク) |
ソロ活動
↓
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ソロ活動
↓
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Glenn
Hughes
(Vo)
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Tony
Iommi
(G)
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Geezer
Butler
(B)
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Vinny
Appice
(Dr)
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Scott
Warren
(Key) |
Jorn
Lande
(Vo)
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↓
ソロ活動
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↓
離脱
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↓
DIO
DISCIPLE
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↓
ソロ活動
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・ロニーの追悼公演として、2010年7月24日の"HIGH VOLTAGE 2010"に出演。
・一部ではヴォーカルについて、ロブ・ハルフォードがウワサされた。
最終的にはグレン・ヒューズとヨルン・ランデが歌を分け合った。
・フィル・アンセルモがラストに突然現われ、「Neon Knights」でちょっと歌う。
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REUNION BLACK SABBATH #2 (2011年以降) |
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HEAVEN & HELLが活動を終了したのち、オリジナル編成によるサバ
ス復活への期待が高まった。しかしこの時点では、オジーはソロ活
動があり、アイオミもイアン・ギランらとのプロジェクトを手がけ
ていたため、直ちには合流が実現しなかった。
しかし2011年秋になると、サバスの活動再開が現実味を帯びる。
そして同年11月11日、ロサンゼルスの"Whisky A Go-Go"において記
者会見が行われ、オリジナル編成でのBLACK SABBATH活動再開と新作
アルバムの製作、そしてワールドツアーの実施が発表された。
しかし年が明けた2012年初頭、アイオミの病気治療が発表され、
ファンに衝撃を与える。さらに同時期、ビル・ワードが契約面にお
ける「受け入れ可能な条件」を求め、バンドへの不参加を表明する
など、バンド活動はそれまでにない危機に陥った。
それでもバンドは活動を継続し、ビルの代役トミー・クルフェト
スを迎えた編成で2012年のライヴを実現する。そして2013年には公
約どおり新作アルバム「13」を製作し、来日公演を含むワールドツ
アーを行ったのである。
そして2016年1月から、バンド解散を掲げて「THE END」を開始。
2017年2月4日のバーミンガム公演を最後としてサバスは活動を終了
し、「メタルのゴッドファーザー」は長い眠りについた・・・・・・。 |
2011年11月11日の再結成発表・記者会見
・2011年11月11日,オリジナル編成による活動再開を発表。
・2012年1月,アイオミにリンパ腫が発覚。
病気療養に入る必要から、活動計画の修正を余儀なくされる。
・2012年2月,ビルが「受け入れ可能な条件」での契約を求める。
契約問題が解決せず、その後のバンド活動には不参加となる。
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3回のみの2012年ライヴ
・5月19日,バーミンガムにおいて復活ライヴを行う。
・6月10日,"DOWNLOAD 2012"でヘッドライナー出演。
・8月3日,アメリカ・シカゴでのの"LOLLAPALOOZA 2013"に出演。
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新作「13」のレコーディング
・2012年8月から2013年1月にかけて新作のレコーディング。
・プロデューサーのリック・ルービンは、ドラムにブラッド・ウィルクを起用。
ビルの代役には、カール・パーマーやジンジャー・ベイカーの名も挙がった。
・2013年6月,「13」発表。アメリカとイギリスでチャート1位を達成。
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2013年〜2017年ワールドツアー
・2013年4月20日,オセアニアからワールドツアー開始。
・5月12日,"OZZFEST JAPAN 2013"出演。オジー・サバスで初の来日公演。
・11月,公式ライヴ作品「LIVE...GATHERED IN THEIR MASSES」を発表。
・2016年1月20日,「THE END」ツアー開始。8曲入りEP「THE END」リリース。
・2017年2月4日,バーミンガム公演を最後にライヴ活動終了。
・2017年3月7日,公式ソーシャルメディアにおいて、バンドの解散を発表
・2017年11月17日,「THE END: LIVE IN BIRMINGHAM」を発表
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